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2017年1月21日土曜日

観察する男

想田和弘監督の本、「観察する男」を整理、実際に映画「牡蠣工場」を観ていたので、中身は実感を持ってスムーズに読めました。
観察映画を撮る監督を観察するという二重構造の本であります(笑)。


観察する男
サイン付き














<防備録>
・編集のことも考えながら、自分が気づいた視点を映像に翻訳するためのカメラワークをしている。逆に言うと、編集のことを考えないと翻訳にならないのですね。見たままを漫然とカメラで記録しているだけだと、自分の発見が観客には伝わって行かないわけですから。「伝わるためにはどうするか?」ということは常に考えます。

・「就職難とか言うけれど、仕事はいっぱいある」;一次産業で何が起こっているのか?;「だって日本人の若い人でやりたい人、いないですよ。3Kですから。」;「だから中国人を呼ぶんだし、中国人がダメだったら今度は東南アジアかもしれないし」;「就職難とか言うけれど、仕事はいっぱいある。だけど日本人、こういう仕事はやらないでしょ」

・たしかにかつては海は漁師のものだったのに、今はみんなに開かれて、大衆化していることも事実、実際、釣り人やボートの数はすごい;プロが食えなくなっていく。

・先に「こういう条件」というものがあって、それに合うものを探すのって、すごく難しいもの;自分の条件が先にあるから、「ないものねだり」になってしまう。

・実際、カメラごしに漁師たちの世界に自分の意識を重ね合わせ、自分も漁師になったような気分で生活していると、はるか離れた東京でスーツを着た国会議員があれこれ騒いでいる法案などよりも、「今朝獲れたメバルの大きさ」とか、「今日は何kg牡蠣がむけるか」とかの方が、よほど切実で重大事に思える;にもかかわらず、彼らに後継者がいなかったり、瀬戸内海の魚が減ったりしているのだって、たぶんかつて中央で決められた方針や政策が遠因となっているはずだ

・GoProって本当にいろんなところにつけられる。死んだ魚やカモメの視点で映像がとれてしまう。もはや人間の眼じゃない。まさにGoProという新しい機械が発明されたから獲得できたスタイル(ブレイクスルー)で、逆に言うと、今までの「普通のカメラ」というのは、人間の視点で人間についての映画を撮るための機械だったんだな、ということを確認させられた。

・小津安二郎 戦後松竹作品全集

・研究って必ず証明しないと行けない、学問だから。その手続きが僕の関心とは少しずれる。

楽になったけれど、何かが死んだ;メトロポリタン美術館についてのドキュメンタリー、一挙手一投足を縛られる感じがして本当にやりずらかった;僕は「ああ、そうか、これは俺の番組じゃなくて、彼らの番組なんだ」と、なんとなく悟っちゃった。悟った瞬間に楽になったけれど、何かが死んだ。「もう、彼らがやりたいように、操り人形になってつくりゃいいや」って思っちゃったんですね。だから、今でもその番組には思い入れはない。

・編集に詰まったときはラース・フォン・トリアーの編集ウーマン、モリー・マリーン・ステンスガードが言っていた言葉が一番参考になる。「Don't discuss, just try!」である。

・「工場を息子に譲りたいんだけど、自分が65になるまでは、正式には譲れないなぜかというと贈与税を払わないといけないから」;「サラリーマンが漁師になるよりも、漁師の息子が漁師になったほうが、仕事を覚えるのも早いと思うんだけどな」

・「議論するより、やってみろ」;この言葉、すごく役立つので、編集が行き詰まった時には思い出すようにしています。本当にそうなので。

・映像業界のスタンダードな常識では、被写体に作品を事前にみせるのは一種の禁じ手で、、むしろ「みせてはいけない」とされている。;基本的には被写体にみせるのはつくり手の独立性を破壊しかねない行為だとの考え方が根強い。

・星野さんは僕のツイッターを読んでいるのか、いつも僕の大体の予定や状況を把握していて(編集者の鑑である)、絶妙なタイミングで「そろそろ、次の取材、やりませんか」とメールを送ってくる。僕は渡りに船とばかりに、取材に応えて心の内を吐き出す。この繰り返しで、本書はできあがっていったのである。


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