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2015年10月1日木曜日

気仙沼の「災害の歴史」を探る

東北大災害科学国際研究所より川島秀一先生をお招きしての勉強会「気仙沼の『災害の歴史』を探る」に参加してきました。

講演の中身は、地形の生い立ち、街の歴史の紹介、地名の由来、過去の災害記録などから気仙沼を検証するというもので、地域学として、また、防災学としてとても参考になるお話を聞かせていただきました。

以下、Myノートより

・三陸におけるカツオ一本釣りの導入は、唐桑・鮪立で、鈴木氏が導入した。
・カツオ一本釣り漁業の導入とともに、餌となるイワシ網漁業もビジネスとして成立した(鹿折、尾形家、江戸時代)
・気仙沼は埋め立てでできた町。
・気仙沼の顔、内湾(ホソウラとも呼ばれた)はあえて埋めなかったというのが特徴
・リアス海岸は自然の恵みや天然の産物と言われるが、人工的な関わりも多分にある
・風を考えると、気仙沼港はよくできており、風をよけるために北は安波山、西と南も囲われてい て、風をよけるには便利である。
・一方、風の通り道(古町、三日町、八日町・・)も確保されていた:昔は帆船、出港時に役立つ)
・東日本大震災により浸水したのは埋め立て部分、江戸時代の地形に戻ったのだなと(海が取り戻しに来た)。
・気仙沼地方の風名:キタカゼ(北)、ミナミ(南)、コチ(東)、ニシ(西)、シブコチ(北東)、イナサ(南東)、ナライ(北西:気仙沼では重要!)、ハマゾイ(南西)
・気仙沼の近年の大火:①大正4年3月30日、②昭和4年2月23日 ※ナライ風が影響
・町の中の小川
・海ともオカともつかない曖昧な地帯が気仙沼湾にはあった:災害にも弱い地域:汽水域など生めて陸と海を分けるのが近代の日本の進めた方針
・鼎が浦(⇒内湾を指す)の成立
・鼎:古代中国の容器で足が3つついたもの:石灰岩層でできている神明崎、柏崎、蜂ヶ崎の3つの岬をなぞらえた

<まとめ>
1. 住民がそれぞれの地域の自然や歴史を知ることは防災の第一歩である。
2. 真の防災とは、災害時の生命を守る事だけではなく、過去から未来にわたる人々の生活文化を守ることである。

講演の様子
気仙沼地方の風

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