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2018年2月8日木曜日

剣道と人間形成

社会体育指導員研修(剣道)中級の課題レポート作成にあたり、堀籠敬蔵先生の「剣道の法則」を読み直しています。

今回のお題は「剣道と人間形成」

読めば読むほど奥深さを感じます。
そして、先生方は表現こそ違うけれども、どうも同じ事をおっしゃっていたのではないかと気づくのです(捉え方や解釈は違えども目指す方向性は同じ)。

とりあえず、堀籠先生の記述から気になるところを抜粋整理、熟考します。

○剣道
・佐藤忠三藩士:剣道とは剣による攻防の理法を修練するの道なり
・結局は、剣道は刀によって相手を倒すか、自分が倒されるかという生死を極める道なのであると言える。
・現今、私達は剣道を修行することによって人生の一大事に当たってどうすべきかを学ぶのであることを忘れてはならない。

[剣道指導理念委員会]
・剣道の理念を通じて、対内的な念願にその重点を置く。
・理法というのは非常に幅の広い内容を持つものであり、刀の操法から始まり、正しい姿勢、間合、打つべき機会等の技術的なものと、呼吸、気、心といった精神的なもの、刀法と心法との両面を含んでいるので、心正しく技が理にかなってこそ格調高い剣道が体得しうるという事理一致の境地を示したもの。
・用は、刀法において、理にかなった正しさを、心法においては平常心あるいは不送信を求めつつ敬愛の気を深め、人の為に尽くす心情を養い、常に身をもって修練する、即ち技を磨き心を練ることによって人間形成に役立てる、これが本質であると存じます。
・「生死の哲学」:自己の内面の創造のために精進したいもの。

[剣道の理念](全日本剣道連盟)
剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である

[剣道修練の心構え](全日本剣道連盟)
剣道を正しく真剣に学び
心身を錬磨して
旺盛なる気力を養い
剣道の特性を通じて
礼節をとうとび
信義を重んじ
誠を尽くして
常に自己の修養に努め
以って
国家社会を愛して
広く人類の平和繁栄に
寄与せんものとするものである

これによれば、我々の修行は、技術的な向上を目指し、心身を鍛練するだけに止まらず、剣道固有の特性を通じて礼節を知り、誠を尽くして修養を怠ってはならない、となっている。

さらに、国家社会を愛し、文化の発展と人類の平和繁栄に寄与する社会的な人間形成が終極の目的となっている。

→ 前半は自己形成、すなわち「養生の精神」であり、後半は国家社会に尽くす「養和の心」の二本柱で構成されている。

○真・善・美・聖・用・健
真:誠の心、真剣な心であり、道の修行上の土台である
善:素直な心、感謝しつつ道に精進すること
美:観る者に対して美しさを感じさせる無心の姿、その人の姿はその人の教養を表す
聖:智慧であり、物事をよく考える。すなわち、工夫、研究するという意味
用:身体の動きで動作の機敏性、積極的な働きを意味している
健:健康であること

幾多の名人・達人と称される人々の生き様:技術を修練するその過程において、幾多の生死の問題と直面し、内面的な成長を遂げ、遂には、生も死もない無我の境地までに高められたもの

時は流れ、時代は変わっても人間としての道には不変的な流れがある。(不易流行

剣道の修行を通して人間としての道を学ぶ
人間の道とは何かと言えば「当たり前のことを当たり前にする」ことである。
これは「言うは易く行なうは難し」ことではあるが、人間として最も大切なことである。

大日本武徳会においては「武の三則」として、次の項目を掲げている。
一、正義を尊ぶこと
二、廉恥を重んずること
三、礼節を旨とすること
この三則を守ることによって、人間の形成ができるとされてきた。


剣道とは、ただ試合による打ち合いのみではなく、この技術の錬磨を通して心の修行に入り、人間的調和のとれた人づくりということになると思う故、我々は十分心して修行に励むべきである


(仙台生活313日目)




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