峨峨温泉に宿泊した際にたまたま手にして斜め読み、その後も気になっていて、古本屋さんで購入していたのですが、とても深い本です。
今から700年以上前に道元禅師によって記された「典座教訓(てんぞきょうくん)」が基礎になっていて、自己を見つめ直し、心を磨き、本来の自己(本心真心)の大切さを説いています。
物品や情報が豊富で海外との交流も盛んになった今こそ、人として大事にしなければならない真心が述べられていて、交流の基本は「人と人の心のふれあい」という言葉にもその意味をあらためて気づかされるのです。
読むたびに新しい発見がある。
繰り返し読みたい。
禅・食と心 |
<忘備録>
・三心とは、自己中心的、独善的思考を排除し、物質的、武力的な闘争形態をとらずに、人間の精神的、内面的な自覚に基づき、その精神的な切磋琢磨によって、より平和な社会と個人の幸福の実現を目指すもの。
・喜び、感謝の心と言うべき喜心、そして、親心、親切心というべき老心、さらに、大なる心、何者にもこだわらない大きな心、何かを求めるという心を離れて仕事を成し遂げる心、高慢に走らず野卑にわたらない心と言うべき大心、このような三つの心こそ、常に典座が身につけ、保持しなければならない心である。
・三宝とは、仏、法、僧である。仏とは宇宙万物の本体であり、生命力そのものであり、完成された人格である。方とは宇宙万物を支配する真理、法則であり、釈尊の教えである。僧とは宇宙万物の融合調和であり、仏道を実践する人々であり、よき指導者である。仏は良医、法は良薬、僧は良友に例えられる。
・心に大の字を描く;一両ほどの軽いものでも軽々しく扱わず、一鈞の重さでも、特別なものとして扱わない。目に見える形や物質的な変化にとらわれず、本質を見通す大きな目から物事を眺め、一切に動じることなく接する心である(大心)。
・大心の功徳(はたらき)
・大心とは、修行を通じて体得する、環境や一切の現象を超越し、物の軽量、変化を一視平等の心の中に見据え、自由自在、融通無碍にして、公明正大なる心境である。
・禅の神髄は、かくのごとき「大」なる大心を人の心に確立することにあるといっても過言ではない。
・人が生きるとは何か?いかに生きるべきか?その答えは、当たり前に繰り返される日々の生活に、ただ真心をこめるという最も単純なる真理の実践によって体得されるということである。
・この単純明快な真理を本当に実践できるならば、私たちは誰もが真実の自己、三心を備え、生死のこだわりさえ超越して自由自在に事に処し、人を生かし物を生かし、己を生かして十二分にその生命の歓喜を味わい尽くすことができるであろう。
・私たちすべてが仕事に喜心を持ってあたり、人や物に老心をもって接し、社会に大心を持って関わるならば、家庭・社会生活全般に、明るさと喜びがみちあふれることは疑いようもない真実である。
・今、私たちが最も必要とするものは、禅師がこの「典座教訓」の中に示された、三心であり、本心真心という人間本来の心の運び方である。